蓮のつぼみ
本日、九月五日です。
そして、この写真、先ほど撮影しました。
本日、九月五日です。
そして、この写真、先ほど撮影しました。
本山に二泊三日の研修に行ってきました。
廣讃寺からは十数名が参加し、睡眠不足と闘いながらあっという間の三日間を過ごしました。
本山では阿弥陀堂の修復がされており、屋根の修理を様子を見学できました。
やはり東本願寺は大きいですね。
それにしても暑かったですよ。
今年のお盆もたくさんの方がお寺にお参りにみえました。
35度を超える暑さの中、よくお参りにされました。
ふつうなら
「これだけ暑いんだからやめておこうか」
という意見が出てお参りに行くのはやめておこう、となりそうなもんですが、
やはり熱心です。
暑すぎてセミも鳴かない、まぶしすぎて目が開けられないほどの真昼間の炎天下の中でお寺にお参りに来られる方には本当に頭が下がりました
人形劇を見る子供たち
金魚すくいをする子供たち
輪投げをする子供たち
みんな笑顔いっぱい、大興奮
暑いですね~
体がついていけませんね。
今日気付いたんですが、朝にトイレに行ったっきり夜までトイレに行ってないんですよ。
水分は充分とっているつもりなんですが、ほとんどが汗になっているんでしょうね。
でも、着物を脱いで、着物をしぼっても汗が出ることはないです。下着のシャツもそれほど濡れていません。
自己診断なんですが、
暑い所、涼しい所を出たり入ったりっていうのは、体の機能もおかしくなってしまうのでしょうか。
なんか最近ちょっと、ホームページを更新していないので、こんな話でワンポイント入れたいと思います。
こんなバカなことを考える坊さんは滅多にいないが、
先ほど、いろいろと空想の世界にいて考えた。
お経に現世利益があったらなぁ?と。
誰かが病気だったら、その人を前にしてお経を読んだら、たちどころに病気が治る、みたいな。
でも内心は、誰かを助けたいという気持ちは二番目。ただ単に、自分が慕われたいからだけだ。
もちろん、そんなことでは慕われない。
人望、カリスマ性がほしいんだろう。
バカバカしい欲望だ。
親鸞の飢饉の時に三部経読誦をしたが、それとは次元が違う。
ここのところ色々な人がブログなるものをやってます。
今、書いている私もそれをしている真っ最中なんですが。
十年以上前でしょうか。NHKで「あなたもメールをやってみましょう」という番組があったんです。
少し高齢者向きだったんですが。
その中で、「メールを送信してしまった後から、メールを訂正したくて、送ったメールを返してもらうことができますか?」という質問がありました。
手紙であれば、ポストに入れてから、やはり出すのはやめておこうと思った場合、なんとか返してもらうことができると思います。
メールというものが普及してどのぐらいたつでしょう。
ポケットベルを使っていた高校生も今では40歳に近づいています。
それから、携帯が安価なものとなり、メール機能も使われるようになり、今ではスマートフォンで驚くべきことまでできるようになりました。
コンピューターネットワークの世界ができてきました。
私も、十数年前にブログをやっていたことがあります。
当時は規制も少なく、敵対心を抱かれた人からはすごい罵声の言葉を投げかけられました。
たかだかコンピューターの世界、顔の見えない世界ですから、そんなにきにしないでもいいと思われるかもしれませんが、ブログ(サイト)にどっぷりつかると現実の社会より、ブログの社会のほうが気になるわけです。
毎日、アクセス数を気にして一生懸命です。
さらにブログの管理人である自分のカリスマ性があると勘違いしたりして。
そんなブログ(サイト)も閉鎖し思い切って削除したら、すごく楽になりました。
浄土真宗の教えとは、少しそれる言葉ですが、Facebookで見た言葉がなんか ビシッときたので紹介します。
前住職三回忌、前坊守一周忌を本日つとめました。
早いものです。
この二年間、様々なアクシデントに合い、いろいろと考えさせられました。そして経験もしました。
それで、自分自身が成長したのかといえば、それは、「NO」です。
ただ歳をとり体力がなくなり、いったい今まで何をしていたんだろう、と、なんだかむなしくなりました。
人生ってなんなんでしょう。本当にわかりません。
朝、いつものカラスがいることは知ってました。
蓮を育てている鉢の水で、捕まえてきたエサを洗っているのも知っていました。
さらにたまに蓮の葉が切られていることもありました。
しかし、今日はその現場を目の当たりにしました。
今は蓮も大事な時で、数少ない葉で一生懸命に光合成しているのに、大事な葉をカラスに切られてしまいました。