二十八日講総会
お勤めの後、法話、そしてお斎。
しかし、だんだん人数が減り、今年は24名ほどでした。
『二十八日講』とは稲葉地のお講組の名称です。
稲葉地のお講組は壊滅状態です。
町内の付き合いや、お隣さんとの関係が希薄になってきているのでしょうか。
二年前の9月29日の前坊守が亡くなりました。
本当に早いもんです。 本日、夕方5時より法事を勤めました。
先回の雑記で書きました、ふくらしばの木を伐採しました。
伐採をしている重機は不思議なことに、最近、東別院のクスノキを何本か伐採した重機だったんです(なんとベンツのマークが) 東別院のクスノキは数珠に再利用されるそうですが、ふくらしばの木は数珠にはなりません。
ふくらしばの木が屋外トイレの屋根に密着していました。
すでにトイは潰れ、屋根も少し変形してきました。 木の力はすごいですね。
先月8月に来た台風によって桜の枝が大きく揺れ、その枝が本堂の鬼瓦に触り一触即発落下の危機でした。
それを庭師さんが発見し、すぐに瓦屋さんに連絡。すぐに足場を組み、お墓参りにみえる方の頭に落ちないようにしました。
残念でしたが桜の枝も切り、鬼瓦を据えなおしました。
切り株から木耳(きくらげ)が生えてました。
とても食べようとは思いませんが、こんなふうに生えるものなんですね。
求不得苦・・・
生きていて絶対に手に入らないものがある。
求めても得ることができない苦しみ。
「私はもうじゅうぶんです」なんてことはないということをお釈迦さまは言い当てている。求めるものが得られないわけだから満足ということもない。
機を逸して手に入らないものはないだろうか?
あの時こうしていたらと悔やむことはないだろうか。終わったことは仕方がない、で片づけてしまつたつもりが、実は、もうどうしようもならないということになっている。二度とは戻れない。
幼い時はたくさん選択肢があった。歳を重ねて行けばいくほど選択肢はなくなっていく。
後悔しながらも時間は進み、老い、さらに後悔は過去からやってくる。
人生こんなものか、と思いながら、ますます時間は過ぎる。
2016年に御遠忌 あっという間でしょうね。
がなんでも治したいです。
いよいよ夏休み!
そしてラジオ体操!
暑い毎日が続きますが朝はさわやかですね。
昨年までは南の駐車場でやってましたが、今年からは本堂前を広くしたので、本堂前で体操するようになりました。
子どもたちも門をくぐって境内へ。
お寺の敷居が低くなるといいですね。