真宗大谷派廣讃寺

雑記

2013-05-21

声が出ない

僕は多分、ぜんそくだと思うんだが。というのも、どこの病院の医師からも「多分、ぜんそくだと思う」と診断されるから。

そのぜんそくが、また最近ひどく、夜中なんて咳で七転八倒だ。

そして、その時に咳を勢いよくするからか?声がかすれ、ついには声が出なくなった。

声が出ないということは、僧侶にとってはすごい痛手で、お経は読めない。人と対話することもできない。本当にもどかしい。

別院の推進員養成講座が5月18日にあり、座談会で班担をしていたが、声が出ない。

翌日のお参りも声が出ないので、友人にピンチヒッターをお願いした。

学習会も声が出ないので、友人にピンチヒッターをお願いした。

僕より友人のほうが評判がいいんじゃないかと半分心配するくらい頑張って勤めてもらった。

しかし、「無言」というのは本当にきつい。座談会でも、意見があっても何も言えない。

無言とは忍耐・・・

でも少しずつ声が出るようになってきた。

2013-05-04

無題

お華束を作る。

まずは米粉を蒸して、臼でつき、のばし、丸く切り抜き、並べる。

そして、完成後、みんなでお斎

池坊の本を参考に中尊前の仏華を立てました。

目立つ幹は松の幹ではなく柿の木の枝を使いました。そしてその枝を継いで継いで継いで下がりの松をつけました。

やはり幹造りをすると立派に見えますね。

2013-04-20

無題

今日、東別院にて推進員養成講座第一回が開催された。
2013-03-20

無題

今日は春の彼岸の永代経。
八事の一心寺の前田先生を迎えて法話をいただきました。
絵本を読んでもらって、しみじみと聞き入りました。
仏教の難しい用語が使わない、やさしい言葉で仏様の教えを聞きました。
その後、五名のかたが、おかみそりを受けました。
2013-02-26

無題

悩んでいる人が、その悩みを具体的に打ち明けた時に、親鸞の教えに照らして話をする。
そんな機会に恵まれた。
本当に久しぶりに僧侶たる自覚に立てた。

普段、法話とか説教とかいいながら、教科書通りの話をしている。それは聞いている人数が多いから、その人たち全員に当てはまるように、漠然と抽象的に話す。

釈尊は、応病与薬。
例えば、風邪をひいた人には風邪薬を、頭痛で苦しんでいる人には頭痛薬を、下痢で困っている人には下痢止めを、
と、いった具合に、様々な悩みに応じた説法がなされた。

薬を欲しない人には薬は与えられない。

薬とはもちろん仏法のことだ。

2013-02-06

人生最上の思い出

20数年前に流行ったバンドのコンサートに行く。
20数年前の私はいわゆる青春真っ只中、大学も横浜だったので1人暮らし。名古屋から横浜に出て来て、すべてが新しい。すべてが好奇心がゆえに輝いて見えた。まさに光の中に在る自分だった。
そんな感動の毎日は、一つの失恋で一変してしまうんだが、
環境も人間関係も恋愛もすべてが我が人生上において最上だったのではないかと思う。
その時によく聴いていたバンドのコンサートに行くのだ。
もうCDなんてどっかにいってしまってるので、スマートフォンにダウンロードして聴いてみた。
はたして、当時の記憶がよみがえるのか?
若かった自分をおもいだしながらも、記憶はとぎれとぎれだ。
20数年前といえば、ロシアのペレストロイカ、ベルリンの壁など、世界史の分野にのっかりそうな感じがするが、
やはり我が身においても20数年という年月は、あまりに自分と周りを変化させていた。
もう、記憶もかすれ、自身にとって最上の時はどんどんと遠ざかって行く。
よき思い出は、老いと手をつないで忘却していくものだ。
人生のどこに仮りではなく、本当の幸せがあるのか。
20数年前に熱していた自分がコンサートに行き、どこまで冷めた心に火をつけてくれらのか。

2013-01-23

早いもんですね

寺の一大事もあり、年始という感覚もさほど覚えることなく今日まで来た。

いつも正月が明けると自分の誕生日を意識してしまう。
ちなみに、私の誕生日は五月なんだけど、春が来れば、あっという間に年齢が増える。
誕生日が過ぎれば、またすぐに秋、冬と通り過ぎる。

なんだか生活にぼわれながら生きていると本当にあっという間だ。
そんな、あっという間の時間の中で、たくさんの人々の死を目の当たりにし、時間というものが、実は取り返しのつかないものだと思い知らされる。

毎日無事にすんでるという一点のみで安住しているつもりになっている刹那主義的な自分に、虚無感を感じる。

2013-01-01

2013年1月1日

ついに年が明けた。

というより、いつの間にか年が明けた。

考えてみれば、年末で気ぜわしい気分のまま年が明けた。年が明けても解決なんてしないような課題はすべてそのまま持ち越しとなった。

正月がめでたいとあまり感じなくなってきている。
冷めてるからか?
子供のころはあれほど楽しみだったのに、30才を過ぎたころくらいから、正月に特別なものを感じなくなった。

喪中が2年続いたからなおさらなのか?

なぜ正月がめでたいのか模索中だ。

新年で仕切り直しができないもどかしさ。

2012-12-24

年の暮れに

今年も残すところあと一週間ほどになりました。

この雑記も秋の彼岸以来、放置状態になってしまいました。

秋の彼岸が終って、前坊守の還淨しました。
昨年の前住職のあとを追うように亡くなりました。

あれよあれよという間に時は過ぎて、もう年末になりました。

しかし、この二年間、あまりにも大ごとが多く、自分のキャパシティではとてもきつく、今もさらに、五里霧中をさまよっています。
ただただ、目の前のことをする、それだけのことすらもおぼつかなくなり、さらに迷宮入りです。

来年もまた、迷い、さまようのであろうと、不安の日々をおくっています。