真宗大谷派廣讃寺

法話コーナー

ぜひお聞きください

夕べには白骨となれる身なり

私の寿命はあとどれくらいか?
血圧も高くないけど、中性脂肪が少し高いのが気になる。あと少しだけ糖尿病の兆しも出てきた。
まあ、あとこれぐらいは生きられるだろう。
みたいな感じで軽く考えている。
「あしたには紅顔あって、夕べには白骨となる身」でありながらだ。
南海トラフの地震がいつ起きてもおかしくないそうだ。これは地震学者が言うのだから間違いないだろう。
東海大震災が来る来ると言われながら、知りながら平気で生活している。
南海トラフの地震が起これば最悪30万人以上の死者が出るらしい。しかし、そんなことを聞いても、まさか自分が地震で死ぬなんて予想もしていないし想像もつかない。
南海トラフの地震が起こったら自分の家が壊れるくらいとしか考えていないようだ。

2014-10-28

早く家に帰りたい

中日新聞に載っていた。
ぼくは
早く家へ帰りたい
時間の川をさかのぼって
あの日よりもっと前までさかのぼって
もう一度
扉をあけるところから
やりなおしたい

高階杞一
この詩を読んだら心が動かされた。
仏教というのは学習してもさほどのことではない。経典の内容を分析しても、それは単に自分流に翻訳しているようなものです。そして、信じることができないとか、わけがわからないとか、難しいとかいう感想で終わらせているだけだ。
仏の教えにより心が動かされるとき、そこには論理だとか、根拠だとかは問題ではなかったことに気付くと思う。

2014-02-16

無宗教

現代社会において「私は無宗教です」と言う人が多くいます。
科学の発達した現代に神や仏などないと言い切る人もいます。
しかしお寺に相談に来られる方々の中には、「私は先祖から呪われているのではないでしょうか?」ということをおっしゃる方もいらっしゃいます。
最近では葬儀も家族葬とか密葬とかで近親者を葬り、それでおしまい。というケースが増えています。
面倒だし、お金も節約したいし、簡単に済むことがすごく良いことのように。
しかし、そんな人に魔の手はのびるような気がします。
自分の身に不幸が重なって起きた時、「なぜこんなに悪いことが続くのか」という原因を先祖にあるとしてしまうのです。やはりどこか後ろめたいところがあるのだと思います。
葬儀を豪華にやることがいいとは思いませんが、葬儀が片付け仕事になってしまっては、亡くなった人を仏様として手を合わす機会もなくなり、のちのち先祖の呪いだとか言って、亡くなった人を悪魔として怖れて生きなければならない。
そんな人たちも増えてきたように思います。

2014-01-16

仏法聞き難し

三帰依文の冒頭、
「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く」
とある。この中で「仏法聞き難し」とはどんなことなのか。
人間として生まれ、お寺に行き仏の教えを聞く機会はなかなかないものだよ。と、こんな感じで軽く考えてはいないだろうか。
仏法が聞こえるか聞こえないかは、こちら側の問題である。
例えば、「今なんとか幸せにやっておりますよ」なんていう心境の時に仏の教えなど響くことはない。
「本当に困った。もう何ともならない。絶体絶命だ!」という時に仏の教えが受容されるのではないだろうか。
『受容』という言葉ではなんだかしっくりこないが、【受容体】という言葉の意味を調べていたら、こんな感じではと思い用いた。
【受容体】細胞表面にあり、細胞外の物質や光を選択的に受容する物質の総称。光受容体・ホルモン受容体・抗原受容体など。レセプター。
我々の心は、仏法を受容することを拒絶しているのではなかろうか。
仏法を受容することがいかに難しいか?
例えば「仏に身をまかせましょう」という言葉をきけば、そんなのはいやだと、たやすく首を横に振ってしまうのです。

2013-05-22

他者と自己

「他人には気を遣いなさい」
という訓告。
他者にどのように接したらいいのか。それは心理学の分野になってくると思う。道徳・倫理ではなく。
他者の心を読む。まずはこのこと自体がたいへん難しい。
たとえば、疲れた人の肩をもんでみる。
気持ちいいと思う人がほとんどだと思うが、くすぐったいからやめてくれ、という人もいる。
それぞれ対処法が異なるというわけだ。
他者と自己との間の隔たりは大きい。
他者に気を遣うということは、その隔たりを小さくするものではない。他者に気を遣おうと感じた瞬間、自己と他者の間の溝は深まる。
顔色を窺(うかが)うという言葉がある。
他者がどのように考えているか、感じているのか、読むことである。
己と他者の駆け引き。意外と緊迫した駆け引きかもしれない。
そんな中で思い浮かぶのが
「親しき仲にも礼儀あり」
である。つまりは自己と他者の間の隔たりは埋まることがないということだ。
そこで、絶対的な孤独存在に在ることに気づかされ、孤立していくのだ。
『仲よしこよし』なんてものは偽であり、もしそのような親密な関係になったとしても駆け引きなしでは破綻する。
己の殻、他者との壁。
それを感じると、自分がこの世界でたった一人で生きているような感覚にとらわれる。
同朋だの同行だのまったく感じることのできない世界こそがこの世界だと思う。

2012-08-16