創建 永正年中
(1504〜1517年)
開基 西玄
そのときの乳のみ子を連れた乳母が郡上八幡へ落ちのび、金森公に育てられた。成人したあと名古屋へ出た。塩町で塩屋利兵衛と名乗り、「塩屋」という屋号で海送問屋を営み成功した。(本宅は塩町、倉庫は禰宜町)約300年頃前、それまで天台宗であった寺を買収し菩提寺兼別荘とした。 塩屋利兵衛は鍋田の寛延新田・港区の福田新田の開発にも力を入れた。福田新田の浄恩寺は当寺の二男長賢が創建である。
廣讃寺本堂は昭和二十年五月に戦災にあい、戦災を免れた山門だけが今も境内に残っている。現在の本堂は昭和三十九年に建てられた。
稲葉地小学校のあたりに昔あった八幡宮は松岡八幡宮と呼ばれて明治まで廣讃寺のものであった。