真宗大谷派廣讃寺

法話コーナー

ぜひお聞きください

苦しみとは

人生うまくいっていると思っている時はほとんど考えないでしょう。イヤなことあれば何か考えるでしょう。悩むということは考えるということです。

たとえば、人間関係でイヤなことがあれば、あいつは何て奴なんだ、あの人は一体どんな人なんだ、私が悪いのだろうか、私はどんな立場なのかというように考えるでしょう。そこから深く悩めば、私って何?人生って何だろう。なんで生きてるの?といったように、マイナスな事があった時に人は考える。考えるというより、考えさせられる、といったほうが正確だろう。

今日は一日何もなくてよかった、と思うような日は何も考えなかった一日といえるのかもしれない。

苦しみなんてないほうがいいと思うのだけれども。苦しみからは逃れたいのだけれども。いろんな自分への苦しみが人生を深くする。

2018-02-23

一日

朝、目覚め、「さて起きるか」から始まり、歯みがき、洗面、朝食を習慣どおりにこなし、午前中に行うことをして昼食をとり、昼への行動へと移る。いつの間にか夕方になり夜を迎える。夕飯を食べて、何かをしていると、いつの間にか寝る時間。また今日もこんな一日だった。そして寝る。

何もないということは良いことだ、平凡な毎日さえおくれることができれば幸せだ、とはとても思えない。いつの間にかこんなに月日がたっていたという感覚は、このままでいいのかという不安にかられる。今まで自分は何をしてきたのか。何のため生きてきて、これからなぜ生きていくのか、そんな根本的疑問がわいてきたときに仏は歩み寄ってきます。

2018-02-02

クライマックス

例えば、楽しい一泊旅行に行く前はウキウキします。旅行に行っている時より嬉しいくらいです。

いざ旅行の日になればあっという間に時間は過ぎます。

出発し、どこか観光地に行き、さて宿に着いた、お風呂だ、夕食だといっていたら、いつの間にか、もうこんな時間かそろそろ寝ようと。そして朝、目が覚めれば、楽しい旅行ももう終わりか、明日からはまた普段の生活だという思いが頭をよぎる。明日からはまた節約しなきゃ、と。朝食を食べて宿を出たら時間がたつのは早い。すぐに昼食の時間。どこか観光地に行って帰路につくころ、今夜のご飯をどうしようと考える、という感じでしょうか。

旅行に行ったという満足感があっても、帰宅後、一晩寝れば薄れます。疲労感のほうが残るかもしれません。

そうやって考えると、何か旅行全体を楽しんでいるような気がしないのです。

子どものころ、「もういくつ寝るとお正月」といっている頃はウキウキしていましたが、元日も昼を過ぎた頃から急激に冷めていきました。新年なんていう真新しさも急速に色あせる。「いつまで正月気分でいるんだ?正月ボケか」という言葉をよく聞いたが、正月ボケになる前に正月なんて終わっている。

旅行にしろ、正月にしろ、なぜかその当日を一番に楽しめていないのです。むしろ前日のほうがイキイキしている。クライマックスが前日というのもおかしな話ですが。

旅行や正月だけではありません。自分にとって楽しいことを本当に味わえているかということです。さらに楽しいことだけではなく、当日、当日を味わえているか。一年後とか明日とかではなく、【今】に足をつけて生きているかということが問われてきます。【今】に足がつけば、毎日がクライマックスになります。

2018-01-01