東別院中門修復
東別院の中門が修復されました。
銅板でできているため、黄金色に輝いております。しかし、銅板が輝いているのもつかの間で、すぐにくすんできて、深い緑色になっていきます。
今回の写真はご門徒からいただきました。立派ですね。
私も夜間に見ましたが夜でも輝いておりました。
今ではすでにくすんでいるそうです。
東別院の中門が修復されました。
銅板でできているため、黄金色に輝いております。しかし、銅板が輝いているのもつかの間で、すぐにくすんできて、深い緑色になっていきます。
今回の写真はご門徒からいただきました。立派ですね。
私も夜間に見ましたが夜でも輝いておりました。
今ではすでにくすんでいるそうです。
12月4日報恩講、無事に勤まりました。
お説教も飛島村から来ていただいた飯田先生、すごくわかりやすく、考えさせられることが多く、なるほど、そうだなあ、と思うことが多かったです。
記憶に残っているのは、
青年の頃によく「若いうちは何でもできる、若いうちにしかできないことがたくさんある。若い時は貴重だ」と言われたように、
90代の人から50才の人に「若いのだからまだまだなんとかでもなる」と言われるように、
亡くなった人から、生きている私に「生きていることに感謝しなさい」と呼びかけられている。
という話。
報恩講2日目、
最近テレビで少し有名になったえしんりょうを、昨年に引き続き廣讃寺にまねきました。まあまあ笑い声が聞こえました。
境内に見たことのない花が咲きました。
檀家さんが集まったときにこの花の話になりました。
私は初めて見たのですが、たまに咲くそうです。つまりはそんなに珍しくはないということみたいです。
ただ、丈も1メートル20センチほどあるでしょうか。かなり大きいので目立ちます。
毎年、弥冨に出かけおとりこしを勤めます。
「おとりこし」とは報恩講のことです。
少し前まではこのおとりこしを稲葉地でも勤めたのですが、今はその習慣はありません。お講組が崩壊したのが原因です。
お講組とは今でいう、町内の組みたいなものです。隣近所の人々が集まって仏間でお勤めをし、しゃべる。「今年は野菜の出来が悪いな。お前んところはどうだ。そうそう、あの人が亡くなったが本当にさみしくなったな」みたいなことを。
職業が多様化し、集まる日にち時間を決めるのも大変になり、そして、町内の関係が希薄化しお講組は崩壊しました。
弥冨では何とか、お講組が残っていて、私が一軒一軒、報恩講のお勤めをし、最後の会所で、お講組のみんなで報恩講のお勤め。
そして、お勤めが終わるとお斎。お酒を飲みながら打ち解けあう。
そしてお斎が終わるころには夜も遅く、寒い風が吹いています。
これが毎年の行事です。
でも弥冨のお講組も、みんながつぶれないように気を付けているのでつぶれないのだと思います。一度つぶれたら復活はできませんから。
お寺の境内にはいたるところに彼岸花が咲きます。
赤い彼岸花が真っ赤に燃えている姿は本当にきれいです。
異常気象の昨今、植物の開花時期が狂うことがよくありますが、なぜか彼岸花は彼岸に咲いてます。
まっ、彼岸花が彼岸に咲かなくなったら、植物名も変えなきゃいけませんね。
秋の彼岸永代経を勤めました。
早いもので、もう彼岸です。お盆から1ヶ月あっという間でした。
今年の彼岸の中日は雨で、永代経が始まる前もかなりひどい雨が降っていました。
今までの秋の永代経は幸いに晴天が多かったように思うんですが、今年は完全に雨で、
それも、先日の台風通過にともなっての雨で本堂前のじゅうたんも濡れたまま、乾かず。
なんとも足下の悪い永代経となりました。
台風ご来るか来ないかという心配をしながら旅行の日はやってきました。
いい天気になりました。しかし暑い。
まず最初にJAで待ち合わせ。バスに乗り込んだ。添乗員さんから、「このバス、クーラー壊れてますので交換します」と告げられ、他のバスに乗ることになりました。
交代されたバスは少し小さく45人乗り。参加者は48人。つまり3人は補助席確定。
その中の一人が私となり、この日1日補助席の旅へ。
長浜別院、八幡別院ともに、歴史ある寺院で、篤い門徒によって長い間支えられてきたとのこと。重要文化財という言葉をよく耳にした。
今日は名古屋教区対抗ソフトボール大会に行ってきました。
初戦敗退しましたが、日ごろ運動をしていないのでいい運動になりました。
しかし今日の最高気温は38度。本当に暑い中で大変でした。
ポケモンGOが一世を風靡してから数週間がたちます。
流行というのはわかりません。今でもまだスマホ片手に歩いている人を見かけます。